2015年を振り返る:「危機鮮明の時代。前途洋々たるかは覚悟次第」(井出悦郎)

井出 悦郎

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2015年が終わろうとしています。
今年は仏教界にとって一つの節目の年であったと思います。
一言で言うと、「危機」が鮮明になりました。
とは言っても、危険の「危」と機会(チャンス)の「機」の両面が明らかになったと言えます。

「危」:仏教界を取り巻く厳しい現状への直視は不可避

『寺院消滅』 (日経BP社:鵜飼秀徳著)では、今後25年のうちに約4割の寺院が消滅するとの予測が示されました。
人口減で多くの自治体も存続が困難になりますし、企業や他の組織も苦しくなるのですから、ましてや多くのお寺(そして神社)が危機に瀕していくことは自然の流れでしょう。多くの人が何となく感じていることが数字で表されたことで、実感がより深まったと思われます。
また、成道会にはamazonが「お坊さん便」を始めるとのニュースが巷間を賑わせました。
ネットに行き交う情報では、多くの僧侶がざわざわとうろたえる様子が見られ、5年前にイオンがお布施の目安をホームページ上で公開した時の記憶がよみがえります。
仏教界において仏壇・仏具屋等の周辺産業も見ていると、ほぼ全ての業者が「低価格」を切り口に参入していることが特長的です。他の産業では必ずしも価格一辺倒ではなく、提供内容の品質等のクオリティを訴求することも見られる中で、仏教界では「低価格」ばかりが売りとして目立つということは、それだけ金銭面において世の中はお寺に不満を抱えていると言えます。
本件に限らず、今後も「低価格」を切り口とした新規参入と攻勢は続くでしょうし、むしろ金銭面ばかりを切り口にさせてしまう大きな「隙」を仏教界側が作ってきてしまったという現実を、冷静に見つめるところからスタートすることが大切です。金銭面で同じ土俵に立って真っ向勝負するのではなく、お寺や僧侶にしか提供できない価値を極限まで高めていく意識と具体的な方策を持たないと、ざわざわとした条件反射ばかりの局所的対応に堕してしまうでしょう。
 

「機」:現代に適応した教化のチャレンジが広がりを見せた一年

お茶の間では「ぶっちゃけ寺」が話題となりました。「坊主丸儲け」等のイメージが先行し、一般人が実態を見ることがないお寺や僧侶について、出演した僧侶の等身大の語りによって好感も広がったと思います。実際、お盆の棚経で番組が話題になり、檀家さんとの会話が例年より盛り上がったという話も多く聞かれました。
とは言っても、この番組によってお寺への参詣者が増えるかは別の問題でしょうし、「伝えたいことを伝えられない」「自宗派のことを話してもカットされる」等の出演者の声も聞かれます。テレビは制作側の意図が最優先ですから、いわゆる教化活動というのは当然のことながら日々の現場が勝負になるでしょう。
また、手前味噌で恐縮ですが、一般社団法人お寺の未来が行なっている「おてらおやつクラブ」の活動はこの一年で、活動寺院数は4倍の約250ヶ寺、支援していると想定される子どもの数は3倍の約2,000名に急増しました。
昨年施行された「子どもの貧困対策の推進に関する法律」によって、今年は子どもの6人に1人が貧困状態にあるという日本社会の実態が広く知られ、状況を見過ごせないと捉えたお寺が多く声を挙げられました。おてらおやつクラブは仏教やお寺が本来的に持つ慈悲の実践活動です。見た目にはシンプルな活動ですが、おてらおやつクラブの活動が檀信徒に知られることによってお寺への共感が高まり、お供物が増えたり、お寺への応援の声が増えたという事例が広く寄せられました。
「行動しない」お寺ではなく、「行動する」お寺として、おてらおやつクラブの活動を通じて人々のお寺に対する認知や期待が少しずつ変わるのを感じます。仏教そのものを直截的に説くのではなく、行動という姿によって仏教精神を説くという形は、布教活動そのものと言えるでしょう。
そして、本山クラスの寺院だけでなく、巷間のお寺や僧俗の有志によって様々な催しやイベントが行なわれることは普通になってきましたし、お寺や僧侶が世の中に対して何が出来るのかという課題意識の共有が、仏教界内で着実に進展しているとも言えるでしょう。
 

本物が残る時代。お寺や僧侶にしか提供できない価値を高める

日本仏教の特異性として、経済的な面は先祖供養によって成り立ち、先祖供養を基盤・媒介とした仏教の布教という側面が濃いのは良く知られていることです。
しかし、近年は先祖供養というお寺の本業が揺らいでいます。檀信徒側の価値観の変化や、一人世帯の増加による家族構成の変化等、イエを前提としたあり方は成り立ちにくくなり、檀信徒の共同体は急変を遂げています。その中で、「危」でも触れた低価格を武器にした新規参入業者によって伝統的な供養のあり方が変質しつつあります。
「機」にあるような現代に適応した教化を様々に推進したとしても、先祖供養という本業にどのように前向きな影響があるかは未知数とも言える状況です。
また、葬儀社も生き残りをかけてより地域密着を志向しています。家族葬専用の小規模会館を建てたり、その会館を地域のカルチャースクールとして徹底的に活用したり等、死を縁とした地域コミュニティの場という、お寺の本来的な役割を侵食していく傾向も見られます。葬儀社も必死です。
そして、今年は「人工知能」が話題となりました。身近ではインターネットの検索連動広告に以前より取り入れられている技術ですが、今年は自動車の自動運転というテーマが世の中に広く知られるようになり、人工知能というものが身近な生活の様々な場面で今後さらに影響を及ぼしていくことが想定されます。
いつか将来には、次のような世界が実現されるかもしれません。
「お一人様世帯が増える中、ペットをパートナーとする人が増える。ペットと言っても、人工知能を有した小型ロボット犬だ。数年の付き合いの中で飼い主の好みや心情をよく理解するようになり、会話の内容もまさに以心伝心。飼い主の健康状態も敏感に察知し、老いが深まるにつれ、死にまつわる会話も増える。ロボット犬自体がインターネットにアクセスし、様々な情報収集をして死後の葬儀・埋葬や身辺整理について飼い主に提案をする。日常会話の繰り返しを通じて飼い主の考えも徐々に整理され、いわゆる遺言状・エンディングノートに類する意思がロボット犬に記憶され、専門家を呼んで公正証書として遺す。死期が近づいたある日、ふと犬が般若心経を唱え始める。世界トップクラスのテノール歌手の美声を彷彿とさせる美声に思わずうっとり。自分の供養は犬にしてほしいという感情が飼い主に芽生えてくる・・・・(略)」
このような世界を私自身は見たくないのですが、医療技術も含めて様々な技術が今後も加速的に高度化する中、果たして「人間とは何か」という主題が真っ向から問われる時代になるでしょう。
一見、お寺にとっては四面楚歌の状況ですが、「人間とは何か」という根本命題がより問われてくる時代とは、まさにお寺や僧侶の真骨頂が求められている時代とも言えないでしょうか。お寺や僧侶にしかできない供養、看取り、日常の人間的な触れ合い、それらを通じた死生観の涵養のあり方とは一体何でしょうか。
様々な要素が削ぎ落とされていく時こそ、物事の本質的な価値が露わになります。今はお寺や僧侶の不要な装飾が削ぎ落とされている時代であり、今後もこの傾向は続くでしょう。装飾という皮をむき終った時、果たしてその中心部には珠玉の代替不可能な価値が残っているか。まさにお寺や僧侶として冥利に尽きる、遣り甲斐に満ちた時代ではないでしょうか。一見危機に満ちたように見える世界を正見し、世界を見る自らの偏った視点を換骨奪胎し、冷静な一歩を踏み出していくことが今こそ問われています。
 

時流に適応しつつ、変えてはならないお寺らしい価値を逆張りで活かす

今年、とある勉強会で、資本主義とお寺の特性比較について話す機会がありました。
その際、様々な視点でお寺と資本主義の特性を比較してみました。

比較すればするほど、お寺の価値は資本主義と真逆にあるように感じました。
世の中との調和は必要なので、資本主義の世の中においてある程度時流を取り込む必要はありますが、このような時代だからこそ「逆張りで」お寺の良さを活かしていくことが大切です。
むしろ、世の中と完全に同期してしまったらお寺の価値は消失し、世の中に生き苦しさを感じる人々がお寺との関わりを通じて生きる活力を取り戻していくことも困難になるでしょう。
様々な技術革新によってお寺や僧侶の価値の代替が確実に進んで行く時流において、究極的に代替されないものを絶えず見極めていくことが求められます。緊張感がある一方で、とても遣り甲斐に満ちた時代がこれからの仏教界を待ち受けていると言えます。
来年は、その遣り甲斐を全身で受け止める気概を持つお寺や僧侶の皆さんと、日本全国の諸所でお会いするのが楽しみでなりません。
 

井出悦郎(代表理事)
東京大学文学部卒。東京三菱銀行、経営コンサルティングのICMG社等を経て2012年に一般社団法人お寺の未来を創業。著書に『お寺の教科書』(松本と共著)

井出 悦郎

(一社)お寺の未来 代表理事。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、平成24年に(一社)お寺の未来を創業

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